2018年を振り返る

晦日なのでオーソドックスに1年を振り返ります。

 

今年変わったことで何が一番大きかったかといえば、趣味。

ここを読んでいる人はわかると思うので細かいことは書きませんが、とにかくズブズブにハマっていった。最初は2月だった。赤の他人にここまで幸せになってほしいと願ったのは初めてだった。

それまでの趣味(某マンガが好きだった)は、趣味といえどどこかしっくり来なかった。追いかけようとしても足が伸びていかないような、そんな感覚。

そんな中、出会ってしまった彼らは面白くて楽しくて距離が近くてハマらないわけがなかった。

そのおかげでマジで辛い日もあったけど、総合的には好きになれて良かったなあと思っている。めちゃくちゃ恵まれてたし。2018年は彼ら一色の年だったと言っても過言ではない。

あとその趣味用のTwitterアカウントを作った。吐き出し口がないとしんどいから。さらに、そのアカウントを使ってツイキャスなるものを始めてみた。承認欲求を前面に押し出す方針に自分の心をシフトした。満たしに行かないと満たされない、それが承認欲求だから。

承認欲求つながりで、人に見せる小説や文(このブログもそう)をひっさびさに書いてみたり短歌を作ってみたりもしてたな。承認欲求のおかげで創作欲がガッと上がった。これは良いこと。

さらに共通の趣味を持つフォロワーと仲良くなってお酒を飲んだりその場のノリでカラオケオールしたり、本当に楽しかった。来年も楽しくしたい。

 

 

次。心療内科に通い始めた。10月始めから。

つまびらかに書いてもしょうがないので経緯は省くが、長年悩んでいた症状に病名がついた。その名もパニック障害。私の場合は、電車(特に満員電車、その中でもとりわけ地下鉄で止まってしまいいつ動くか分からない電車)や飛行機といったすぐには出られない場所、または人混みなどのジッとしていなければいけない場所で発作が起きる。発作というのは、動悸がしたり、手足が震えたり、落ち着きがなくなったりといった身体的なものや、「ここで気が狂ったらどうしよう」という精神的恐怖・不快感を指す。全部いっぺんに来る。キツい。

さすがに病院に行かないとヤバイな〜と思って心療内科に通い始めて、薬を飲むようになった。効いてるのか効いてないのか正直よくわからない(発作が出たこともあるし、出そうになったことも何度かある)けど、医者という相談できる相手がいるのは結構心強い。

ある程度治ったら飛行機乗って沖縄行きたいな。行ったことないので。

 

 

次。休職。12月始めあたりから。

あまりのストレスで会社に向かうと体が重くなるようになった。朝、31駅ぶっ通しで寝たりした。そんなことできるんだ、と思った。

まだまだぺーぺーなので私の休職で会社への損害はそんなに生んでない(はず)だが、直近の先輩にめちゃくちゃ迷惑を掛けていることが申し訳ない。でも今の会社は辞めるつもりです。ごめんね。

通っている医者が会社の近くなのでどうしても2週にいっぺん会社の最寄り駅まで行かないといけないのだが、その度に足が重くなる。転院できればしたいな。

実家暮らしの身分のため親にも色々説明しなければならず、そこもなかなかしんどい。会社にいても家にいてもあんまり心が休まっていないような気もするが、趣味のおかげでなんとか生きている。

とりあえず、会社を辞めたら少し休んで、バイトでもして、大学院に行きたいなと思っている。こういう「本当にやりたいこと」に気付けたのも今年だな。親に何言われようが知らん。私は大人!  だけど涙が出ちゃう… 女の子だもん。(アタックNo.1)

 

 

こんな感じ。

なんかちょっと重い…?総合的には今までで一番楽しい1年だったはずなのに。

何か病名を告げられるとか休職とか親との考えが合わないとかそういう「初めての経験をたくさんした」。こういうポジティブな言い方にしておこう。

趣味の方でもたくさん学ぶことがあった。ツイッターに全部書いてるからここでわざわざ言わないけどね。

 

色んな経験や出会いをして、本当に本当に良い1年だった。人生を動かす要素がたくさんあったんじゃないかなと思う。

何より、仲良くしてくれた人たちに本当に感謝がしたい。ありがとうございます。来年もよろしくお願いします。

 

2019年もなんとか己を保つぞ!今決めた目標です。

 

おわり。良いお年を。

 

 

ヌクモリティ

 

こんにちは。

皆さんは最近他人と会話していますか?

友達や家族じゃなくて、マジマジの真っ赤っかの他人。私はしました。

現在休職中の身なので家族以外と会話する機会があまりなく、外に出て他人と話すと「社会に参加している感」が出てとても気持ちが良いのです。人間という生物としての社会性を補充できたように思えます。

ということで、最近他人と話して大変良かった話をします。

 

① ヨドバシのiPadコーナーの店員

店員というより、Apple系列の販売員ぽかったけれども。

お金はないけどiPad欲しいな〜(絵が描きたいので)と思ってiPad売り場でピョコピョコしてたら色々教えてくれた。ホーム画面への戻り方や、起動中のアプリを切り替える方法、イラスト系アプリでアンドゥ/リドゥする方法など。(使う指の本数によって該当する機能が異なったりする。ハイテクすぎる…)

完全に営業トークではあったけれども、気さくで話しやすく、何より「売りつけよう」というにおいがなかった。気持ち良かった。まだ買えないけど…

 

② 上野公園にいたおばちゃんたち

こないだ夜の上野公園をプラプラしていたら、イルミネーションで彩られた木をバックに写真を撮りたい、と快活なおばちゃん2人に撮影係を頼まれた。

おばちゃんたちの明るさにつられて、自分にしては珍しく「いいですかー!?はいチーズ!!」とめちゃくちゃ声を張った。

写真を撮ってあげた後、「あなたも撮ってあげるわよ!!」と快活に言われた。

私は1人で来ていたしイルミネーション自体の写真はもう撮っていたので「えっ、私はいいです…」と断ろうとしたが、「いいから!!」というおばちゃんの快活圧に負けて撮ってもらった。

撮影中、おじさんが後ろを通りがかったり、イルミネーションの光り具合のタイミングが良くなかったり(色んなパターンに光るタイプだった)、あんまり上手くいかなかった。おばちゃんたちに「ごめんねえ」と言われたが、なんだか楽しかったのでお礼を言って別れた。

 

③ ココスで隣になった女性

コミケ帰りにココスに寄って、担々麺をドリンクバーセットでオーダーした。すると隣の席の女性が私の肩をトントン、と叩いて「これ使いますか?」と尋ねてきた。

ドリンクバーのクーポンだった。女性の机の上を見るとクーポンがたくさん並べてあったので、その中の使わないものを私にくれたのだろう。

休職中の無給人間にはめちゃくちゃ助かった。「えっいいんですか…?」と言いつつ即座に使わせていただいた。本当にありがたかった。

 

 

以上。

東京の人間は冷たいなんて言われるけど別にそんなことはない。TOKYO ヌクモリティ。みんなも外に出ればヌクモリティを感じられるんじゃないでしょうか。外、おすすめです。

 

 

 

どうぶつえん行ってきた

上野動物園に行った。

 

ハシビロコウだけを目的に行ったけど、すべてを楽しんでしまった… 元々動物園あまり好きじゃなかったけど、これはかなり楽しい場所だぞ。

 

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お目当て。意外と動いてた。

 

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寒そうなお猿さん

 

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多いフラミンゴ

 

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でっけ〜亀のおしり

 

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やる気のないワニ。「私みたい」と思った。

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横にいた子はちゃんとしてた。

 

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いきなり泳ぎ始めた仲間をガン見するペンギン

 

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陰のペンギン。「私みたい」と思った。

 

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ベンチ。かわいい〜。

 

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それは本当にそう

 

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習性なら仕方ない

 

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東京…

 

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まもろう!

 

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悪い例

 

 

 

えいえいお〜

今の生活がめっちゃくちゃつまらない。

 

私は昔から、なにかを生み出すことが好きだった。絵を描いたり、小説を書いたり、音楽を奏でたり。自分の手でしか作れないものがあることが快感だった。物心ついた頃からの趣味だ。

それと、いろんな言語にも興味があった。中学で英語と日本語の違いの面白さに気づき、大学ではスペイン語言語学を専攻した。

言語学の勉強はとても楽しくて、大学の勉強がつらいということはほとんどなかった(レポートの締め切りにはいつも追い詰められてたけど)。卒論を書くのもそんなに苦しんだ覚えはない。しばしば授業をサボったりもしたが、けっこう興味を持って勉強できていたと思う。

 

大学4年になって、就職活動の時期に入った。スペイン語関係の仕事も考えたが、留学にも行っていないし喋れないので断念した。じゃあものづくりをしようかな、と思い、商品開発に携わることを夢見て文具メーカーを受けまくった。が、全部落ちた。

周りの友達がどんどん就職先を決めていく中、私ひとり取り残された。まあそのへんは個人差があるのでそんなに気にしてなかったが、「このまま決まらなかったらどうしよう」という焦りから就職エージェント的なところに相談しに行った。

「ものづくりがしたい」という私の希望を聞いた担当者は、IT業界を勧めてきた。システムエンジニアになれば、システム開発ができる、と。

そりゃ良いな、プログラミングのことは何もわからんけど勉強させてもらえばなんとかなるか、勉強は好きだし。と何社か受けて、1社内定をもらった。それが今の会社だ。

 

入社して、プログラミングの勉強をした。ただ、まったく興味が持てなかった。だんだん身についてはいく。ただ、興味がどうしても湧いてこない。言語学の勉強がどんどん恋しくなっていった。

研修期間を終え、業務に携わり出した。しかし、システム開発ではない、事務みたいな仕事だった(事務職をバカにしてるわけではないです)。

全然私のやりたいことじゃない。毎日会社に行くごとに興味の無さを実感する。

興味のないことを続けるのはたいへんなストレスだ。業務以外でも、温室育ちの私は人間の上下関係が理解できず、さらにストレスが溜まっていった。わがままと言われると返す言葉がないが、正直いっぱいいっぱいだ。

大きすぎるストレスのせいか、以前から患っていた精神の病気が悪化した(診断を受けたのは最近だが)。満員電車で体調を崩し、遅刻していったり休んでしまったり。体が重くてめまいがする日もある。同僚に迷惑を掛けることも心苦しく、さらにストレスになっている。

 

今日も具合が悪くなって早退してしまった。帰って寝ていたら、出先から戻ってきた母が心配して部屋に入ってきた。体調が悪いということだけしか伝えていないのに、精神的な部分から来る体調不良だと察しているようだった。

ふだん親の前であまり自分の思いを話すことはないが、「なんのために親がいると思ってるの。なんでも話して」と言われ、泣きながらぽつぽつ言葉を漏らした。

今の仕事にまったく興味がないこと、このままだと将来の展望が何も見えないこと、ほんとうは大学院に行って言語学の勉強がしたいこと。

「それはたいへんだったね」と否定することなく聞いてくれた。「でも、動かないとだめだよ」とも。「大学院に行きたいのなら、大学時代の恩師に会って相談しなさい。今の仕事を続ける気はないんでしょ?言語学をやる方向に進むことが決まれば、仕事に対しても楽な気持ちになるでしょう」

まったくその通りだった。私が抱いている不安感の根底には、「これからどうしたらいいかわからない」という未来の見えなさにあったのだと気がついた。

母はさらに言う。「今まで行きたい中学や大学に行って頑張ってきたじゃない。なのに今ムダにするのはもったいないよ」

確かにそうだ。まあムダにしてしまっているのは自分なんだけれども。今つまらないのは自分が悪いのは重々承知している。

 

とりあえず、すぐに仕事を辞めるわけにはいかないが、一度恩師に連絡を取ってみようと思う。自分で言うのもアレだが、私はまだ若い。人生なんてどうとでも変えられる。自分の人生をできるだけ希望通りに動かすために、少しずつ働きかけていく。

 

えいえいお〜

 

 

趣味と人生

これまで色んなコンテンツにハマってきた。漫画、アニメ、アイドル… いわゆるオタクだ。

今はインターネットの有名人にお熱で、日々ツイートやブログを見て楽しんでいる。楽しんでいるのだが、あまりにも傾倒しすぎていて他人から心配されるくらいだ。

その傾倒っぷりに関しては充分自覚がある。過去の趣味は、「好きだし毎日頭にあるけど学校や仕事の時は忘れられる(他のことにも集中できる)」といった程度のものだった。というか、趣味とは大体そういうものだ。みんな人生のメインは学校とか仕事であって、趣味は生活における調味料ぐらいのものだと思う。

けれども、今の私にとって趣味が主食になっている。米。

寝ても起きても電車の中でも仕事中も家でもずーーっと彼らのことを考えている。「好きすぎてどうしようもない」状態。彼ら中心の生活になっている。

好きな人間を追いかけるのはとても楽しい。彼らの発信するコンテンツを見たり読んだり聴いたりして、心を満たす毎日。側から見たらかなり幸せ者だろう。実際幸せだ。

ただ、冒頭にも書いた通り、あまりにも傾倒しすぎている。生活の中心になっているということは、生活をかなり侵食していることとイコールだ。

好きすぎて心がしんどい。こんな感情を抱いたのは初めてだ。

先日、好きなひとの1人に道でたまたま遭遇し、声をかけた。「ありがとうございました」と言って別れた後、頭がポーッとして、その後すぐに叫びたくなって、うずくまりそうになった。そこから数日間、もうそのことで頭がいっぱいで、つらくてつらくて仕方がなかった。彼の写真や文章や曲、声もなにもかも見れない・聴けない状態になった。

人間、愛で心がいっぱいになるとかなり精神が追い詰められるらしい。そういうことを教えてくれた貴重な存在だ…と捉えればポジティブだが、私はかなり懸念していることがある。

このままでは、自分が終わる。人生がおびやかされている。

彼らのことを追いかけるがあまり仕事に集中できない。趣味に没頭しすぎて結婚もできないかもしれない。両親との時間も削っている。

正直、かなり怖い。楽しい反面、その代償が人生に直接響くようなものになってきているからだ。

それでも、離れるのは寂しくて、共通の趣味で出会った人たちと話すのも楽しくて大好きで、何より彼らのあふれる魅力に毎日毎日絡め取られている。

彼らの幸せを第一に願う日々ではあるが、そろそろ自分の(長期的な)幸せも考えなくてはいけない。でも、今いちばん(刹那的な)幸せを感じているのは、彼らを追いかけている時なのだ。ただその幸せが照らされた影は不幸の色を帯びている。

好きだけどつらくて、つらいから離れたいけど、離れたらきっともっとつらい。

他人から見たらどうしようもないしどうでもいいジレンマだろうが、私の目下の、そして最大の悩みである。

それでも、私は明日からも彼らを好きでい続ける。趣味と人生のバランスを考えて葛藤しながら、しばらくは追いかけ続けるのだろう。つらいけど、最大の癒しであることには間違いないからだ。

こんなに好きにさせてくれてありがとう。でも、その分めちゃくちゃつらいです。そのうち落ち着きますように。

ヒトカラの宿命

ネタがないので普通に今日のことについて書く。(本当は書き途中の記事があるが、なんかただの人の悪口みたいになったので公開しないことにした。)

 

7:30、1度目の起床。うがいをする。二度寝

8:30、2度目の起床。三度寝。

10:30、3度目の起床。「寝すぎた…」と言いながら起きる。

 

朝ごはんに食パンとバームクーヘンを食べた。

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抹茶とプレーン半分ずつ。

 

のろのろと準備して、秋葉原ヨドバシカメラに行った。iPadApple Pencilが欲しい。高い。金がない。何がしたいのかというと、絵が描きたい。それだけ…

サンタさん、ちょ〜だい

 

そのあと、一人カラオケをした。エージェント夜を往く、丸の内サディスティック、ローリンガールを5回ずつくらい歌った。キーを下げると歌いやすいということを最近覚えた。ライフハックです。

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禁煙ルームがいいと伝えたら、ひとりなのにめちゃくちゃ広い部屋に通された。動き回って歌った。楽しかった。

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こんな感じで、すぐそこに総武線の線路が見える部屋だった。鉄オタに需要ありそう。

 

モニターもでかいし窓もでかかったので、カラオケ画面を撮影しようすると絶対に自分の姿も映りこむので変な姿勢で撮るしかなかった。

 

ヒトカラに行くとやたら広い部屋に通されるやつ何回か経験してるけど、どこに座ればいいか分からなくなる。特に入ったばっかりのときの、飲み物が運ばれてくる前。ドアから遠いところに座った方がモニターが見えやすい場合が多いのだが、そうすると店員さんが飲み物を持ってきてくれたときに変な距離感が生まれ、またそうなることで「広い部屋に、ひとり…」感が増してしまう。なので、ヒトカラの最初の5分くらいは大体飲み物の入り待ちに集中することになる。

 

 

仕事を休んだ

この三連休、家族が旅行に出掛けており、家に残された私は1人で自由気ままに過ごしていた。

パソコンをつけっぱなしにしてBGMを流しながら絵を描いたり、ろくな栄養を取らなかったり、かと思えばジムで運動した後に確実に消費カロリーを上回るであろう食事(とってもジューシーなハンバーグ)を取ったり。

とにかく、珍しく1人で過ごせる休日を満喫していた。

 

ただ、休日は時間の経過が早い。あっという間に最終日の夜になった。明日は仕事だ、と憂鬱な気持ちでベッドに入った。今の仕事内容で特に大きな悩みはないのだが、無条件に行きたくないのが仕事というものだ。いや、無条件は嘘だ。他人に気を遣うのが嫌いだから行きたくないんだ。

あー嫌だ、あー嫌だと半泣きになりながら、いつもより少し遅く眠りについた。

 

 

朝5時40分。携帯のアラームが鳴る。

音に驚いたのか仕事が嫌すぎるのか、大きな鼓動がバクバクと寝起きの体に響く。

なんとか起き上がり、ルーチンワーク的に朝の準備に入る。

白米を頬張りながら、4日ぶりに点けたテレビを眺めていると、ふと「今日、会社休んじゃおかな」と思い立った。この時点で6時30分くらい。

そこから先、私の頭は「仕事を休む」ことでいっぱいになった。

6時50分。今から化粧と着替えと髪の毛を整えるんじゃあもう間に合わない。あーもう知らない。ツイッターしよ。

空いた茶碗を放置してスマホをいじっているうちに、いつも家を出る7時18分が過ぎていた。

 

やったあ、休みだ。

 

すさまじい解放感。

会社に欠勤メールを送って、ふだん時間の関係で観られない、グッドモーニングのデータ放送でクイズに答えるコーナーに参加した。正解したので3ポイントゲットした。

 

始業時間が過ぎてから、電話でも連絡を入れた。体調が悪い振りをしたつもりだが、声に嬉しさが表れてしまった気もする。でもふだんからニヤニヤ喋りだし大丈夫かな。

電話が済んで、こみあげる気持ちが抑えきれず部屋じゅうをウロウロ歩き回った。

 

こんなに最高なのか。会社をズル休みするというのは。

 

手前味噌だが、私は昔から真面目だ。親からも友人からも「まじめだねえ」と言われて育ってきた。そんな私はもちろん、(学生時代はともかく)仕事をズル休みなんてしたことがなかった(多少なりとも責任があるから)。なんならここ半年くらい無遅刻無欠勤だった。

 

その私が今日、ズル休みしてやった。

 

同僚に迷惑をかけることは間違いないので申し訳なさは多少あるものの、嬉しくて仕方なかった。

 

今日の自分は無敵だ。なんだってしていいんだ。何をしよう。

 

ウキウキしながら、パソコンを起動して脱出ゲームをプレイしまくった。1つもクリアできなかったが、はちゃめちゃに楽しい。時計に目をやっては、あぁ今昼休みだな、あぁ今あの作業の時間かな、と、今日だけは無関係のオフィスに思いを馳せながら、画面の中のクッションを裏返しまくった。

昼ごはんにどん兵衛を食べ、その後ラジオを聴きながら昼寝した。

1時間くらいで起きて、準備して、15時半くらいから19時くらいまで外出した。

オフィスカジュアルが強いられている職場では決して着ることのできない、ラフなパーカーと真緑のプリーツスカートを着て歩く。

ふだん通勤時に通る商店街に活気を感じる。行きはまだ空いていないし帰りはもう閉まっている八百屋や床屋に、煌々と照明が灯っている。

すいている電車にのんびり揺られる。電車の中では眠ることが多いが、今日は興奮で寝られなかった。

到着駅でお金を下ろした。いつも外に出られる時間帯はATM手数料が掛かるので、平日にお金を下ろすなんて本当に久しぶりだった(お金が必要な時は家族に代わりに下ろしてもらっている)。

夕方の喫茶店でジャムトーストをかじる。心がたちまち満たされていく。外はあいにくの雨模様だが、そんなのまったく関係なかった。

 

店を出て、帰路につく。

これ以上なく良い休日になった。満たされるとはこういうことか。

 

他人が働いてる間に遊ぶ(これを俗にサボると言う)快感は、他のものに代えることはできない。淡白な色使いのオフィスを思い出すたび、鮮やかに色づいた自分の心がその光景をかき消す。私は今、誰にも見られず最高の「休日」を過ごしているんだ。ズル休みという汚い現実が、私の心をキラキラと照らす。

おい、昔の私。こっちの私は平気で仕事を休む大人になったぞ。

 

あ〜〜ズル休み最高。

まじめなみんなもたまにはズル休みした方がいいよ。最高だから。最高〜〜〜

 

 

でも、ちょっとやっぱり、罪悪感は残る。

明日頑張って、それで償おう。